恋の永続魔法

ますだくん。にかいどうくん。じゅりくん。

映画 「火花」

神谷「批評をやりはじめたら漫才師としての能力は絶対に落ちる。」

徳永「でも、逃れられへんと思うんです。」

神谷「論理的にはな。唯一、アホになってな、感覚だけでおもしろいかどうか判断したらいいねん。ほかの意見に左右されずに。もし、俺が悪口ばっかいいだしたら、漫才師やない。そんときは殺してくれ。俺はな、ずっと漫才師でいたいねん。」

 

いつも書いていることと全然違うジャンルですが好きなものに変わりはないので失礼します。 

 

火花を見返すたびに、私の中のおもしろいの理想は神谷さんで、かっこいいの理想も神谷さんだ。だから、批評も悪口も本当はいいたくない。だが、私は漫才師ではない。神谷さんが言う、ほんものの漫才師という、生まれた時から漫才師だとしたら自覚はない。少なくとも、私は自覚のある漫才師ではない。だから、原作、ドラマ、映画と3作ある「火花」について3作とも体験した私の意見を書きたい。批判・悪口などと言われるかもしれないが、ここから先はすべて私の感想だ。まず、元々、私はドラマファンだ。映画も見終わった今、やはりドラマが1番好きなことに変わりはない。映画ファン・原作ファンの方には特に、私はドラマが好きだということを踏まえてこの先は読んでほしい。

 

「火花」

まず、私が「火花」とう作品自体がを好きな理由はたくさんあるが、何度見ても伏線の回収に痺れる。原作も映画もドラマも、熱海の花火のシーンから始まる。熱海の花火大会から物語も神谷と徳永の関係も始まるのだ。そして、神谷さんが巨乳のおっさんになってどうしようもなくなり、徳永と2人で熱海にまた行き花火をみて作品は終わる。物語は熱海の花火で始まり、熱海の花火で終わるのだ。

次に、徳永の神谷への敬意だ。神谷と出会った花火大会でのあほんだらのネタは「地獄、地獄、地獄、地獄」だ。この時徳永は神谷の、常識から脱するおもしろさに心を惹かれている。スパークスの解散ライブは「死ね、死ね、死ね、死ね」だ。明らかに、初めてみたあほんだらのネタに影響を受けている。自分の芸人として最後の舞台で神谷への敬意を表したネタだと私は思う。芸人が書いた原作だなと感じるストレートに美しいオチがあって快感だ。

 

 

映画 「火花」

ドラマよりもセリフの言い回しが原作に忠実だ。場面は違うことはあっても、原作に書いてあるセリフをなるべく盛り込んである。ドラマで見れなかったセリフがあり、そこの再現は好き嫌いは別としても、実写化してくれたことが、とてもうれしかった。

また、何年の出来事か「2002年」のように表記され、物語は基本的に時系列順に進み、初めて火花に触れる人でもわかりやすいだろう。

 

しかし、今回の映画化で感じたことは、時間が足りない。2時間で10年の日々を描くことは難しすぎる。間が全体的に少し短い。会話にもっと間がほしい。

徳永の山下への言葉じゃないけど、「話を聞いてからしゃべってほしい」

聞いた言葉を頭で咀嚼してから口に出してほしい。どことなく時間に追われている2時間に感じてしまった。

徳永は神谷さんに自分が人と比べて喋るのが遅いから、おもしろいことを言える回数が減る。と相談していた。だが、映画の徳永の喋り方を遅いとは感じなかった。どちらかというと、菅田将暉の喋り方の説明になるが、大きい声で語尾が強くて自分の喋りに自信があるようにまで感じ取れた。林遣都が演じるどこか自信なさげで、プライベートではモゴモゴ喋る徳永の方が圧倒的に私の中の徳永と一致した。

 

火花は若手芸人の日々を描いた、要は日記のようなものだ。2時間でそんなにたくさん盛り込めないことは分かっている。だが、もっともっとネタを書いているところ、ネタ合わせをしているところ、何より、劇場に立って漫才をしているところを見たかった。映画中に結局しっかり漫才を見れたのはスパークスの解散ライブだけだ。原作とドラマでは、芸人として売れようともがいておもしろいを追求する中で徳永と神谷は出会って仲良くなっていく。神谷の例えを借りるが、原作やドラマでの2人の関係はものがたりのなかの大木の枝である。小さな枝を切ってしまうのはもったいない。木にとって枝はとても大切なパーツだ。肝心の大木の幹は漫才だ。だから、大事なのは舞台に立っておもしろいことをすること、漫才をすること。だが、映画では、漫才が大木の枝となり。幹が徳永と神谷になっていたのではないか。おかげで、ネタを見た感覚がない。だから、スパークスのネタが洗練されていくところ。売れていくところ。あほんだらのネタはおもしろいのに、周りとの関係性や素行のせいで売れないところ。それが目でわからなかった。徳永と山下の会話でスパークスは多少は売れたことはわかった。とはいえ、ずっと風呂なしアパートだという。でもそれでいいのか。スパークスのネタがどういう面白さで売れたかイマイチ伝わっていないと思う。そもそも、風呂なしアパートから脱せていないということは、原作やドラマで感じていたよりも映画のスパークスは売れていないのではないだろうか。これじゃあ、売れない芸人同士の話で、徳永が神谷に「自分がテレビにでておもろいことやったらよろしいやん」と泣きながら言った場面に全然心を持っていかれない。もっとスパークスが売れてチヤホヤされて、先輩の神谷さんとの格差を描いてくれないと、ファンに握手を求められる程度ではスターダムを駆け上がったとは言えないと思う。また、映画では、徳永が銀髪にしたとき知り合いの美容師ではなさそうだった。つまり、徳永の意思で銀にしたことになっていたように思う。売れた芸人=髪の毛を染める のようなそういう解釈があるのかなとも読みとれたが、それはどうも腑に落ちない。タイミングよく不可抗力で銀髪になったはずが、徳永の意思でキャラを作ったとなると徳永のキャラはぶれてしまう。徳永は神谷さんを尊敬している。神谷さんはキャラを作ることは好きじゃないから。

私はスパークス(林遣都好井まさお)の漫才のファンだ。それだけに、スパークス(菅田将暉川谷修士)の漫才がわからなくて、一部しか見れていないネタでは面白さが激減する。劇中でも言われているが、漫才では、ボケは積んで積んで最後にオチないと爆笑にはもっていけない。それなのに、映画ではボケを積んでいない。言っていることが実践されていないのだ。もったいなさすぎる。

 

神谷さんは「おもしろいことのためやったら、性的な発言も暴力的な発言も辞さない人」なのに、映画では、神谷さんの巨乳をださなかった。谷間だけだった。結局は性的や暴力的な発言はおもろいことだったとしても世間や社会になじむために淘汰されてしまう。ドラマは地上波用ではなく、Netflixだからできたことだった。

 

キャスト

実写化にあたって、キャストは大切な要素だ。

役名(ドラマ・映画)

 

スパークス
徳永太歩(林遣都菅田将暉)

林遣都は完全に徳永だった。原作の徳永を越えることも劣ることもなく、徳永だった。等身大の徳永になっていたと思う。

対して、菅田将暉の徳永は徳永じゃなくて、菅田将暉だった。菅田将暉を隠せていない。映画では、菅田将暉と神谷の会話になっていた。私の中で、林遣都が徳永として存在するから余計にそう感じたのかもしれないが、火花の劇中に、徳永がいるはずの場所に菅田将暉がいたのだ。確かに、菅田将暉が人気があるのは分かる。だけど、どんな役にでも化けれるわけではない。人間だから限界はある。だから、俳優の人気に頼った興行収入だけでなく、役柄にあったキャスティングをしたドラマが好きだ。林遣都の貧乏芸人臭がすごい。使い古したジャージで鍋ごとたべるラーメンがいい意味で似合う。劇中、同じ服を何度も見る。その点、菅田将暉演じる徳永は私服がおしゃれだ。なぜだ。風呂なしアパートなのにオシャレに気を使っていて漫才以外に時間を使っていて天下とりたい貧乏芸人臭が全然しなかった。

 
山下真人(好井まさお(井下好井)・川谷修士(二丁拳銃))

徳永のことが大好きな好井まさお演じる山下はよかった。スパークスの漫才に対して1番おもろいと思ってる。って言い、自分らで漫才しながら 笑っているところ。漫才が下手なところも愛らしくてうまかった。

川谷修士演じる山下はさすが二丁拳銃というような熟練した落ち着きがあった。だが、その落ち着きは必要なのだろうか。実際に年齢が43歳だ。相方の菅田将暉は24歳だ。約20歳近く離れている。確かに、映画では同級生という話はでていなかったと思うが違和感がぬぐえない。参考に、ドラマでは、撮影時でなく今の年齢だが、林遣都が26歳。好井まさおが33歳とこれは、許容範囲だろう。ツッコミにプロがほしいというのは分かるが、なぜ、若手芸人に40すぎた川谷さんを抜擢したのか疑問だ。

 

あほんだら
神谷才蔵(波岡一喜・桐谷健太)

神谷さんはどちらのキャスティングもよかった。あとは好みの問題だろう。もともと、桐谷健太の舌足らずな喋り方は気になっていたが、それを超える神谷さんになっていて、想像していたよりは気にならなかった。

映画でよかった点として、神谷さんが煙草にライターでなくマッチを使っていたことだ。完全に好みの問題だが、口をとがらせて煙を吐くのは好まなかった。

神谷と徳永の会話を思い出すと、「太鼓の太鼓のお兄さん 真っ赤な帽子のお兄さん 龍よ目覚めよ太鼓の音で」をつい口ずさんでしまう。このフレーズを無限に繰り返すから面白さが増す。そう思っていた。私の中の神谷さんは「太鼓の太鼓のお兄さん お兄さんは太鼓が上手」なんて歌わない。永遠に繰り返す笑いをこの歌では突き詰めていたと思うのに、歌詞が増えていてかるくショックだったしこれはおもしろいのだろうか。

 
大林和也(村田秀亮(とろサーモン)・三浦誠己)

とろサーモンが好きなだけに贔屓したくなるがこれが唯一映画のキャスティングが上回ったように感じた。村田さんの顔はどちらかというと優しいと思う。普段、久保田さんというモンスターと組んでいるから中身は別としても、優しいおじさんに見える。

だが、大林は昔、町一番の不良だ。プロヂューサーに喧嘩を売るような人だ。三浦さんのキツイ目、ヤンキー顔めちゃくちゃ合っていた。

 
宮野真樹(門脇麦木村文乃)

真樹さんはどちらもよかった。だが、木村文乃がわざわざ金髪にしたのは、キャバ・風俗=ぎゃるというイメージからなのだろうか。それとも、木村文乃のイメージを一変するためなのだろうか。どうしても黒髪だとサイレーンなどがよみがえり、厳しいキャリアウーマンの木村文乃がでてくるからなのだろうか。とはいえ、ママになった木村文乃は黒髪ボブで、しっかりと真樹さんになっていた。

門脇麦演じる真樹は、何度も出演シーンがあるのもあるが、空気をよむのがうまい真樹さんだった。神谷さんと暮らしているのが楽しそうだ。

木村文乃演じる真樹は、神谷と住む家の天使だった。木村文乃の変顔が本当にかわいい。ただ、幽霊の姿でサービスする真樹さんを実写化する必要があったのだろうか。 神谷「幽霊の格好でサービスするなんて言わんでええやん。ディティールまで想像してまうやろ」の言葉がよぎった。

 

 

決して、映画の批評をしたいわけじゃない。ただ、私はドラマが大好きだ。そして、火花が大好きだ。

そして、スパークス林遣都好井まさお)の漫才のファンだ。インコちゃんは特別愛着がわいてしまっているから除外するが、中でもカレーネタは特に好きだ。

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スパークスの後ろ姿と観客が見える後ろからのショットはその空間にいる人が幸せそうな顔をしていて大好きだ。

 

そして、神谷才蔵という人の芸人としておもしろいことのためなら何でもするという純粋さ。常識をくつがえすおもしろさ。きっと、いつまでも私にとっても徳永にとっても憧れなんだろう。

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自分のネタに確固たる自信をもっている神谷さんは本当にかっこいい。 

 

 

ピース又吉直樹が芥川賞を受賞し、実写化も二本されて何度も話題にもなってきた火花。まだ、火花に触れたことがないが興味が湧いた方がいらっしゃたら、劇場に足を運んでいただけたら嬉しい。

映画『火花』

もしくは、ドラマもBOXがすでにでているし、Netflixで1か月無料で配信されているので、全10話と映画に比べて少し長くはなるがぜひ見てほしい。

Netflixオリジナルドラマ『火花』公式サイト | 全10話 独占配信中

原作も文庫やハードででているので、好きな方法でぜひ肌で感じてほしい。

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

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